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【PHPV】斜視だと思ったら原因不明の先天性の病気だった。

PHPV 斜視だと思ったら原因不明の先天性の病気だった

次女は左右の眼が内側に向いている内斜視のような面持ちでした。

医者から「斜視」と診断されるだろうと軽く構えていました。

市立病院 ⇒ 大学病院 ⇒ がんセンターと渡り歩き、

PHPVと診断されました。

次女が生後3カ月の頃、診断されて初めて聞いた眼の病気でした。

 

 

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PHPV(第一次硝子体過形成遺残)とは?

眼球の中のゼリーのような硝子体という組織と、そこに含まれる血管が発達途中で消えずに残ってしまう疾患です。70~90%は片眼だけに発症し、遺伝性はないと言われています。原因は不明です。眼科的、全身的な先天異常との合併例もあります。

以下、省略。>>>全文は学会HPに記載してます。

参考:日本小児眼科学会

初めて聞く病名、しかも長い。

と3種類に分かれます。

次女は後部型でした。

 

PHPV(第一次硝子体過形成遺残)とわかるまで斜視だと思っていた

産院を退院し自宅に戻ってきて間もない頃、

両目から異常に「目やに」が何度も出ました。

ふいてもふいても目やにが治まらず目の回りが少し赤くなってました。

なんかちょっと斜視っぽいかな?と思いましたが、

赤ちゃんは斜視っぽい見た目になることが多いと母から言われ、

特に気にしていませんでした。

 

生後2カ月頃に視能訓練士の友人が遊びに来て相談しました。

次女の目を見て「すぐに病院へ行って」と勧められました。

市内の病院へ受診

斜視がそんなにひどいのか?

こんな赤ちゃんから眼鏡かけるのか?

その程度の考えのもと市内の病院を受診。

診察後、すぐに先生から詳しく見させてもらいますと言われ、

バスタオルでグルグル巻きにされ手足を抑えつけ上に看護師が乗って身動きを封じる。

次女の鳴き声が響く。

初めてのことだったので異常な光景でした。

目に器具が当たらないようにするための安全対策の一つなのですが、

初めてだと圧倒されて言葉を失いました。

 

先生から眼の奥に病気があるのは明らかで「コーツ病の疑い」があると診断されました。

ここではこれ以上の治療はできないので明日すぐに大学病院へ行ってください。

と言われ頭の中はパニックでした。

斜視じゃないの?

それしか考えられませんでした。

 

札幌の大学病院を紹介され受診

市内の病院の先生に言われるまま、翌日には札幌の大学病院を受診。

また同じバスタオルグルグル巻きの状態。

精密検査をするので入院して下さい。

入院?

自分の予想をどんどん斜め上に話が流れていくので頭が混乱したのを今でも覚えています。

入院をして眼底検査、CT、MRIと3つ検査を行いました。

見た目の斜視はひどいが、それ以外はとても元気な次女。

そしてMRIの検査結果が出ました。

 

突きつけられた診断名

結果を話したいので、○○病棟の○○部屋へ来て下さいと言われました。

次女を抱っこして、暗室に入ると異様な光景が目に飛び込んできました。

研修医がズラーーーーっと何十人も並んでいました。

わたしはただ検査結果を聞きに来ただけなのに、

これから何が始まるんだ?という光景でした。

初めての感覚で胸がザワザワしました。

主治医からMRIの画像を見せられいろいろ説明を受けました。

そして告げられた診断名が、80%の可能性で網膜芽細胞腫の疑いがあります。

医大では摘出しかできない。

国立がんセンターに行けばまだ何か打つ手があるかもしれない。

東京のがんセンターを紹介します。

 

泣き崩れました。

当時、元夫のいる本州から北海道に逃げてわずか2カ月後でした。

長女を母に任せ、父は現役で働いていた為ため、

宣告を一人で聞いていました。

でもその現実を受け止めるにはとても重い内容でした。

 

東京の国立がん研究センター中央病院でPHPVと診断された

泣いてても仕方ない。

疑いでまだ確定したわけではないので、すぐに東京へ飛びました。

がんセンターはわたしの勝手なイメージで閉鎖的なのかな?と思ってましたが、

実際行ってみると、とてもオープンなイメージに変わりました。

 

小児専門のため、赤ちゃんや小さな子どもがたくさん受診していました。

次女の名前が呼ばれ、またバスタオルグルグル巻き。

 

市内の病院、大学病院よりも早くグルグル巻きから解放され、

医師から言われた言葉が、

「網膜芽細胞腫ではないですよ。」

この一言で一気に肩の力が抜けました。

そして次に言われたのが、

「第一次硝子体過形成遺残後部型です。命に別条はないです。」

涙が止まりませんでした。

 

PHPV(第一次硝子体過形成遺残)の治療

がんセンターでの診断書を大学病院へ持ち帰りましたが、

このPHPVは治療法が残念ながらありません。

なので経過観察をしに年に2回札幌の大学病院へ行っています。

その時の検査内容は、

だけです。

これといってやることはないので変化がないか見るだけです。

眼底検査では、瞳孔を開くために眼薬をさして30分待ちます。

さらにもうひとつ眼薬をさして30分待ちます。

なのでこの検査をする日は時間が掛ります。

PHPV(第一次硝子体過形成遺残)の視力

↑この写真は5カ月の頃です。

おもいっきり内斜視になってました。

次女の場合ですが、6歳の現時点で視力はありません。

光に対しても全く反応がありません。

何も見えないので片眼でこの世界を見ています。

ですが、眼球は動きます。

不思議です。

問題のない左眼に比べてすこし眼球が小さいです。

これから成長してどうなるかまだわかりませんが、

現段階でもPHPVの右眼が小さいなという感じはあります。

顔のバランスが崩れるのではないかと心配していますが、

主治医は大丈夫と言ってくれているのでそれを信じてます。

 

5歳の半ばから白色瞳孔になり、お友達から指摘されたと教えてくれました。

嫌みではなく、素直に疑問に思っての声掛けだったようです。

落ち込むことはなかったのですが、少し気にしていました。

なのでそういった時にどう返答するか教えてあげました。

「生まれつきなんだよ」

と言ってごらんと教え、その通りお友達に教えると、

エルサと同じだね!って言われた!

と嬉しそうに教えてくれました。

まさかそんな結果がうまれるとは思いませんでしたが、良い方に話がまとまりました。

子どもだましではありますが、良い返答になりました。

 

PHPV(第一次硝子体過形成遺残)の眼圧上昇

5歳頃から眼をかゆみ、充血を繰り返していました。

市内の眼科でパタノール0.1%点眼薬を処方してもらい改善はしたものの、

眼圧が上がっていると指摘されました。

通常眼圧が20位のところ、

この時の次女の眼圧は35で基準をオーバー。

すぐに札幌の大学病院へ電話し予約をして連れて行きました。

確かに眼圧は高いけど症状の訴えがないため、

やっぱり経過観察となりました。

眼圧が上昇し過ぎると、眼の痛みが強く出ると聞いています。

なので、少しでも痛いと訴えが出てきたらためらわず病院へ電話して大丈夫です。

と主治医や視能訓練士さんから話をもらい、

その気遣いが嬉しかったのを覚えています。

なので少しでも疑問や不安があったら、

迷わず病院へ電話しましょう。

 

PHPV(第一次硝子体過形成遺残)の予後はどうなるか

現在6歳に成長し、内斜視の見た目はそうひどくないです。

しかし白色瞳孔は夜になると特に目立ちます。

少しずつ理解もしてきて、病気と認識するようにもなってきました。

眼圧が上がったのをきっかけに再度PHPVについて今後どうなるのか主治医に聞いてみました。

  1. 白内障、緑内障になるのか
  2. 今後手術が必要になった場合医大ではどこまで対応してくれるのか
  3. 義眼をつける可能性はあるのか

 

①:白内障、緑内障にはなる

②:がんセンターに・・・という話も出てくるかもしれない。現段階ではなんとも言えない

③:現段階で義眼をつける話はない。白内障が進行して見た目が嫌になってきたら、白内障を隠すコンタクトレンズを入れることは可能。

 

と話をしてくれました。

半分納得し、半分納得できなくて不安な様子を悟ってくれた主治医がセカンドオピニオンとして

再度がんセンターで話を聞いて意見を聞いてみてもいいと言ってくれました。

 

PHPV(第一次硝子体過形成遺残)についてセカンドオピニオン

この3点を明確にするために再度、国立がんセンターへ行きました。

セカンドオピニオンの診察結果です。

  • 眼圧が高い原因は、硝子体の内面の液体がたまっている
  • この液体を現時点で抜くのは好ましくない
  • 何か手を尽くすなら網膜凝固という方法があるが今やる必要はない。
  • 目薬で眼圧を下げる方法もある
  • 眼圧が40、50に上昇したときに手を打つ必要がある
  • 眼を抜く抜かないという話は今は無い
  • 白内障もいうほど現段階で無い(白色瞳孔なだけ)
  • 痛くなる一歩手前を見極めるのが重要
  • 見た目で黒目がグレーなど少し色が薄くなってくる
  • 痛くなってからでは遅い

 

と沢山お話をしてくれました。

医大病院と同じで今できることは無い

でも眼の摘出の可能性は現段階ではない

白内障、緑内障が起こりうるので視力が出てくるの可能性は少ない

目的だったこの3点が確認でき、安心?というか納得して

北海道へ帰れました。

 

PHPV(第一次硝子体過形成遺残)でも普通の生活が送れる

片眼が見えないだけで、普通の生活を送っています。

変に気は遣いません。

のびのびと過ごさせてます。

だから危険と隣り合わせな気がしますが、

長女と差をつけることなく、眼が見える見えない関係なく過ごしてます。

保育園も問題なく通えました。

小学校も問題なく入学できました。

学童も問題なく受け入れてくれました。

中学生になった時、どんな部活に所属するのかが今から心配です。

運動部に入って欲しくない(衝撃がありそうで)気持ちもありますが、

そこは娘自身が選ぶことなのでどうなることか・・・

 

PHPV(第一次硝子体過形成遺残)の情報を広めたい

PHPV(第一次硝子体過形成遺残)という病気は、知名度が低いです。

命に別条はないですが、発症部位により義眼になる場合もあります。

義眼にはならず次女のように保存できる場合もあり、

次女のように視力が全くないわけでもありません。

視力がわずかでも見える子もいます。

 

次女は、網膜剥離を合併しています。

PHPVでは網膜剥離を合併することが多いそうです。

また何が原因になるかわかりませんが痛みを訴え始める可能性もあり、

少しの変化でも見逃さず子どもをよく見てあげる必要があります。

幸い、今のところ痛みを訴えることはありませんが、

「子ども」なのでいつ何が起こるかわかりません。

 

などありました。

防ぎようがありません。

 

今思い返すと胎児のころ、

ダウン症の可能性も指摘されました。

羊水検査をしてダウン症の可能性は無くなりましたが、

「眼」に異常があることの予知だったのかな?

と、今では思っています。

 

 

次女の眼に、PHPVがわかったことがきっかけで長女も心配になり病院へ連れていきました。

そこで「小児弱視」とわかりました。

長女もまた弱視だけではなく、未熟児網膜症のような病変が見つかりました。

神経と網膜が引っ張られている状態です。

次女とは逆で外斜視っぽい見た目でした。

長女は眼鏡で矯正を開始しました。

 

 

次女の病気がなければ長女の小児弱視もわかりませんでした。

きっかけとなった次女に感謝です。

 

 

PHPV(第一次硝子体過形成遺残)の情報は少ないです。

少しでもこの病気を持ったご家族の不安を取り除けるといいなと思いブログ書きました。

共感できる部分があるかはわかりませんが、

PHPVを持ったわたしの娘はスクスク元気におてんばに育っています。

治療法はありませんが、

山中信弥教授が作製に成功したiPS細胞に希望を託しましょう(^^)

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